投稿者「棚瀬心理相談室」のアーカイブ

ペアレンティング・コーディネーターを利用したケース(2)

ケース2を通して、ペアレンティング・コーディネーターの抱えるチャレンジおよびセラピストの抱えるチャレンジに触れていく前に、昨日に紹介したアメリカの[ケース2]を通して私が思うことを今日は書いてみたいと思います。

日本の対応と違う点で強く印象に残った点は、子どもが父親に会いたくないと言っていても、また子どもの治療に関わっているセラピストが父親と過ごす時間を減らすことを提言しても、その理由が「虐待」でもないかぎり、裁判所は命令を出して家族再統合の努力をさせていくという点、そして一度の試みが失敗してもさらに週末に集中的に再統合カウンセリングを受講させ、そしてそこにとどまらず、その後にもアフターケアとしてペアレンティング・コーディネーターによる介入、調整を義務づけるという積極的な介入姿勢です。

当日のワークショップ主催者であるペアレンティング・コーディネーター(Robin M.Deutsch,PhD)の発言で印象に残ったのは、こうした努力・介入のプロセスの中で同居親との過剰な同盟や片親疎外の事実が明るみに出てきた時には、最終手段として監護者変更という可能性も残されているというものでした。

離婚後の同居親との過剰な同盟や深刻な片親疎外の弊害から子どもを、そして家族を救いだしていくためには、ここまで強力な介入なしには極めて難しいということであろう。

 

 

 

 

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ペアレンティング・コーディネーターを利用したケース(1)

29日(日)に、13時間半余の飛行の後、ワシントンDCから成田に無事戻ってきました。

帰国後初の研修報告(ペアレンティング・コーディネーターの利用)の続きです。

裁判所での合意が成立して面会交流が続けられている中で、子どもが別居親に会いたがっていないとの理由で面会交流が何ヶ月もの間ストップしてしまうということは日本でもよくあることです。

こうした場合に日本であれば別居親は調停の再度申し立てをして調査官による子どもの意向調査が行われることになると思います。しかし子どもが会いたくないと言っている場合、それが子どもと別居親との間の実際的な問題ゆえに起きているのか、監護親との過剰な同盟による影響によって起きてきている問題なのかを区別することは困難であり、たとえ監護親との過剰な同盟によるものであるということを証明して面会交流が命じられた場合でも、嫌がる子どもと別居親の面会交流を意味あるものにしていくのは困難を極めることが多いのが現状です。

また子どもがセラピストに会っているときに、セラピスト(あるいは精神科医)が専門家の名のもとに子どもが父親に会うことによってストレスを抱え、種々の症状を出しているので、しばらく会うことをひかえるようにとの提言がなされ、その提言を受けて、裁判所が面会交流の制限を命じることも多いのが現状です。

このような場合に米国であればどのような対応がなされるのかをワークショップで報告されたケースを通してみていきたいと思います。

ケース2:[ジェシカ13歳は、1年近く前から自分の個人セラピストに父親に会いたくないということを漏らし始めており、ここ6ヶ月間は全く父親との接触がストップしてしまっています。ちなみに父親と母親は1週間交代の共同養育をここ数年間してきています。セラピストは裁判所に手紙を書いて、父親との接触を隔週末に減らすことを提言しました。

しかし、裁判所はまず父ー娘の再統合カウンセリングを行いました。しかし効果がなかったため、さらに家族に週末のインテンシヴな再統合プログラムを受講するように命じました。家族はこのプログラムを終えたばかりです。このプログラムは、アフターケアとして、さらにペアレンティング・コーディネーターの利用による調整を含む構造化されたその後の介入を提案しています。

このケースにおいては、母親は子どもと父親の関係がうまく行っていないために子どもが父親のところに行きたがらないのだと「現実的な疎遠さ」が原因であると主張し、父親は、娘との関係は良かったのに母親による不当な片親疎外ないし母親との過剰な同盟によって生じてきている問題であると主張するというように、両者の主張は真っ向から対立していました。

このケースではセラピストが専門家としてすでに家族に関わっています。]

こうした場合に、後から裁判所によって任命されるペアレンティング・コーディネーターセラピストとどのような形で連携していくべきか、さらにその抱えるチャレンジにはどのようなことがあるのか、また高葛藤離婚家族と接するセラピストの抱えるチャレンジにはどのようなものがあるのかなどについて次回以降に見ていきたいと思います。

 

 

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子どもの健全な発達に必要なこと

今日は、予定を変えて、”Surviving the Breakupの共著者であるJoan Kelly のセッションに参加しました。離婚と子ども問題の大御所であるKelly氏によるセッションは、他の同時開催のセッションと比べて参加者が多いため大広間で行われました。

セッション・タイトルは”Developing Parenting Plans that Benefit Children:Current Research and Practice Implications. 「子どもに恩恵をもたらす養育計画の作成:現在の研究および実践への意味」でした。

盛りだくさんの話の中で、特にわれわれ日本人にとって意味深かったのは、子どもの健全な発達に必要な別居親との関わり方に関する研究に基づく提言でした。

子どもが親の離婚を乗り越え、健全な大人に成長していくためには、同居親との良い関係のみならず、別居親の子どもの学校生活への積極的関与や日常生活における権威的な躾モニタリングの大事さが特に強調されていました。接触の量が保証されているアメリカにおいては、こうした質の大切さが強調されているといえます。

しかし日本では、それ以前の問題として、まず質の良い関係性の基盤としての実のある接触(隔週2泊3日+長期休暇にはまとめた宿泊付き面会交流)を実現していくことが今後の重要な課題であると改めて思いました。(2013.9.27)

 

 

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ペアレンティング・コーディネーターが目指すこと

高葛藤カップルに介入して葛藤を低める役割を果たすペアレンティング・コーディネーターが目指すのは、協力的なカップルになってもらうことではなくて、パラレル・ペアレンティング(並行養育)ができるカップルになってもらうことであるというのが印象に残りました。

離婚後の共同養育のタイプには、協力型(25%)、葛藤型(15-20%)、パラレル型(40%)、混合型(15-20%)の4タイプがあり、子どもにとってパラレル型共同養育は協力型とほとんど同じぐらいうまくいくと報告されていました。

パラレル型共同養育をする場合でも全くコミュニケーションをとらないというのではなくて、子どもに焦点を当てて、ビズネスライク最低限のコミュニケーションはとっていく必要があることが強調されていました。その際に直接電話で話すのではなくてEメールの利用が勧められていました。

高葛藤カップルの場合には、ペアレンティング・コーディネーターにまずメールをチェックしてもらって、感情的な部分を削除し、ビズネスライクに書き直してから送るということもパラレル型に移行していく上での訓練として必要なことだということでした。

日本でもビジテーション・サポートを受けている当事者の場合にも、直接メールを送り合うと感情的になるので、サポートセンターにまず送り、そこでビズネスライクに書き換えてもらってから相手方に送ってもらうという形をとっている当事者がおられますが、同じ工夫だと思います。ですが仲介者から卒業していくためには、仲介者に指摘してもらって自分でビズネスライクなメール書く訓練をしていく必要があると思います。(2013.9.26.)

 

 

 

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高葛藤ケースとペアレンティング・コーディネーター

米国では高葛藤カップルが裁判所で養育計画について合意に達したにも関わらず何度も裁判所に戻って争い続ける弊害を解決するために、ペアレンティング・コーディネーターという制度が作られたことは知っておりましたが、そうした職種のためのワークショップに参加したのは今回が初めてでしたのでとても興味深かったです。

参加者は弁護士とメンタルヘルスの専門家が半々ぐらいでした。

4つの高葛藤ケースを紹介し、それぞれのケースにおいて留意すべき点についてフロアとのやりとりを交わしながら議論を深めていくというアプローチがとられ、一方的な講義でなくいかにもアメリカ的であると感じました。

一つ目のケースは高葛藤カップル間での2-2-5-5(母親が月、火、父親が水、木、週末は金、土、日を1週間交代、つまり母親の週は金、土、日、月、火の5日連続、父親の週は、水、木、金、土、日の5日連続になり2日-2日-5日-5日の繰り返しになっていく。)での共同養育ケースでした。

このカップルは監護についての取り決めがなされた後も、祭日や休暇のスケジュールや子どもの課外活動について、また元夫が一緒に暮らすガールフレンドが子どもたちの世話をすることに関して争い続け、すぐにお互いを非難し合い、裁判所命令に違反するということを繰り返したためにペアレンティング・コーディネーターが任命されました。

このように高葛藤ケースでもフィフティー・フィフティの共同養育の取り決めがなされているところがまず日本の実情と比べるときあまりにも違うので驚きでした。(2013.9.26.)

 

 

 

 

 

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AFCCとAAML共催のワークショップ参加

9月26日、27日、28日の3日間、AFCC(Association of Family and Conciliation Courts)とAAML(American Academy of Matrimonial Laywers)共催による「子どもの監護の問題における上級者向けの実践スキル、養育計画および離婚と子どもに関する最先端の研究」をテーマとする第13回大会に参加し学んできます。

場所はワシントンDCのポトマック川に面したGaylord National Resortです。ワシントンDCに行くのは10代、30代、40代、そして70代の今回と4度目になります。

私の参加予定のプログラムは以下のようなものです。

一日目は、8:30-12:00まで「ペアレンティング・コーディネーション」、1:00pm-3:00pmまで「子どもの監護についてのアセスメント」、3:15pm-5:15pmまで「離婚後に子どものレジリエンスを高める方法」です。

2日目は、9:30-12:00まで、「透明性とクライエントの権利について」、2:00pm-4:00pmは「養育計画の査定と親密な関係にあるパートナーによる暴力について」です。

28日は飛行機の関係で参加できなくなってしまいました。いくつもの興味深いセッションが同時開催されていますが、専門がメンタルヘルスである私が選んだのは上記のようなものです。

今、成田に向かっているエキスプレスの中で、この原稿を書いています。現地に着いたらまた簡単な報告を書きたいと思っています。(2013.9.25.)

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トラウマ概念の再考(2)

前回は、無力な子どもが自分でコントロールできない、また逃れることもできない不快な、また脅威を与えるような状況に適応するために、そうした不快感や脅威を与える人に100%同一化することによって対処し続けた場合、短期的にはそれは適応行為ですが、長期的にみると大きな代償を支払わなくてはいけないということを述べました。

今日は、そうした支払わなくてはいけない大きな代償にはどのようなものがあるのかを自験事例を通して見ていきたいと思います。

まずは、自分がなくなってしまう(無自己)ということを取り上げたいと思います。

私が臨床の場で出会ったA子さんは、25歳で結婚するまで、母親を一番偉い人だと思い、母親のいうことを文字通り100%聞いて生きてきました。母親の言うことを間違いなく聞いてその通りにしていたら母親は機嫌が良かったといいます。母親と違う主張は絶対できなかったといいます。

生き残るためにこのような生き方をせざるをえないことが、S.フェレンツィはトラウマ体験であると考えるわけです。

その結果、A子さんは、自分一人では何も決めることができなくなってしまいました。引っ越した後もどこに物を配置してよいかわからず手つかずのままですし、誕生日のケーキ一つ選ぶにも,自分はこれが好きだ、これがほしいということがないので決めることができず一日がかりですし、年賀状の印刷を決めるにも一日がかりという状態でした。

昔から、洋服一枚買うにも何度も出直し、買った後も必ず返品か交換をしてきたといいます。自分がないのでほめられると舞い上がり、けなされるとひどく傷つき、自分はもうだめだと思い、死のうと思ってしまったといいます。

また幼い頃から何かあると死にたいと思い、また新しい状況では、自分がないためにいつも圧倒されてしまって、パニックになり死にたくなったといいます。

このように、幼少期から自分の思いを押し殺して100%親の意思を生きてしまうことが、子どもにいかに大きな代償を支払わせることになるかが分かると思います。

 

 

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トラウマ概念の再考(1)

身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、そして心理的虐待が子どもにとってトラウマ体験であることは誰も疑うことはないでしょう。今日は、家庭の中で生き残るために子どもが親に100%同一化して生きることのトラウマ性について考えてみたいと思います。

子ども、特に幼い子どもは、生きるために必要な保護や愛情、食べ物やお金を養育者に依存せざるをえない無力な存在です。たとえその環境が幼い子どもにとって守りの薄い、また不当な関係性を強いる虐待的環境であったとしても、子どもはそうした環境に適応して生き残らざるをえないのです。

精神分析の創始者であるS.フロイトの一番弟子であったS.フェレンツィは、こうした不当な関係性の中で生き残るために子どもの側に生じる適応反応こそがトラウマ体験であるとしている点でユニークな発想を持っています。私はこのフェレンツィの考え方に共感し、影響を受け、その視点から子どもの虐待を考えてきました。(参考文献:棚瀬一代(2005)「児童虐待によるトラウマと世代間連鎖」森茂起編『埋葬と亡霊』甲南大学人間科学研究所叢書.)

自分の意志を100%捨てて、親の考え、望みに100%同一化すること。これはその子の置かれた環境によっては短期的には生き残るための適応反応といえます。しかし、やがてその適応反応が代償として多くの不適応反応を引き起こしてくるのです。

 

 

 

 

 

 

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民法766条が改正されたが・・・(2)

民法766条が改正され、協議離婚をする際に、面会交流と養育費の取り決めについて両親間で話しあうようにと明記されたことは一歩前進ですが、離婚届けに取り決めをしたかどうかをチェックすることが求められるだけで、していなくても離婚届けは受理されるのが今回の法改正です。

面会交流が子どもの福祉に適うとの意識がまだ人々の中にしっかり根付いていないので経過措置的にというのがその理由であろうと思います。

確かにまだまだ面会交流が子どもの福祉に適うかどうか、かつどのぐらいの頻度で会うことが子どもの福祉に適うのか、また泊まりがけにするのかどうか、長期の休みにはどうするのかに関しては大人の間では全くコンセンサスが得られておらず、対立の原因にもなっているのが現状です。

面会交流が始められた場合でも、同居親は面会交流を制限する方向に持っていきたいとの思いを通奏低音のようにずっと持ち続けていることが多いように思います。

しかし親の離婚を経験している子どもと面接すると、子どもは自分が理由もなく虐待されていたというようなことがないかぎり、「パパが好き、ママが好き」との気持ちを抱いていることは確かです。

しかし両親の対立・葛藤の狭間に立たされた子どもは伸び伸びとその思いを表明することができず、臆病になっていることが痛いほど伝わってきます。

激しい怒りの感情を持つ親の前では、大人のセラピストである私ですら子どもの思いを代弁してぶつけることにためらいを感じる気持ちが動くわけですから、ましてや依存しなければ生きていけない子どもが容易に自分の思いを押し殺し、親の思いを自分の思いとして生きてしまうだろうことは想像できます。

月一回の面会交流をしている子どもたちの気持ちは、「次に会えるまで100年も待った・・・」「会えない1ヶ月がどんなに長いことか・・・」「たまにしか会えないから遠慮しちゃう・・・」「たまに会って食事するだけ・・・だから深い話はできない・・・」といった言葉に表現されています。

子どもの視点に立ち代弁してきた私の結論は、「原則、面会交流を!」そして「もっと頻度多く、実のある面会交流を!」「最低隔週末2泊3日を!」「長期休暇にはまとめて面会交流を!」というものに至らざるをえません。これが声なき子どもの声だからです。

 

 

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民法766条が改正されたが・・・(1)

昨年4月1日に施行された改正民法766条について今日は一言述べてみたいと思います。

民法766条では「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項は、その協議で定める」とされていましたが、監護についての必要な事項については何ら具体的なことは書かれていませんでした。

改正民法766条は、子どもの監護について協議で定める事項として「面会交流」と「養育費の分担」を明記したわけです。さらにその際には「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」ということも付加されています。

この改正民法施行から1年半近くなる現在、離婚後の面会交流の取り決めはどのように変化したのでしょうか。

私の実感としましては、面会交流ということが明記されたことによって、裁判所も何とか面会交流を実現しようと努力する姿勢が以前より少しばかり強まったように感じます。変化がないという人もおりますが・・・。どちらの意見も量的エヴィデンスに基づくものではないのですが・・・。

しかし、それと同時に面会交流に対する同居親側の抵抗もより強まったように私自身の個々の相談事例を通して感じます。

また別居親に片親疎外(Parental Alienation  PA)という言葉が広く知られるようになることと並行して同居親もこの言葉を使って反論することも増えてきているように思います。

つまり面会交流がうまく継続されており嬉しく思っていたら、ある日突然、子どもが、文字通り「手の平を返したように」、拒否し始めるという現象が頻繁に起きるようになっているのです。そして、同居親は自分は決して片親疎外はしていないと主張します。それどころか、自分は誠実に面会交流に子どもを連れて来ているし、子どもを説得するのにどれだけ大変な思いをしているかと主張するのです。つまり面会交流を拒否しているのは子どもの意志であるというのです。

こうした状況において、裁判所としては、「子どもの利益を最優先して考慮しなければならない」ので、子どもがここまで嫌がっているのであれば・・・・子どもがもう少し大きくなり、別居親に会いたい気持ちになるまで待ちましょう・・・という形に落ち着くことになるのが典型的な軌跡といってよいでしょう。

 

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