投稿者「棚瀬心理相談室」のアーカイブ

親子断絶防止法制定を求める院内集会(3)

実は、7日(金)に11月と同様の胸の痛みを感じ、国際医療センターを受診したところ、またまた「気胸」と診断され緊急入院中です。前回は右肺でしたが、今回は左肺です。肺がどうも弱ってしまっているようです。幸い今のところ治療した右肺はしっかり活動してくれています。今日で入院生活5日目になります。前回は16日も入院しておりましたが、今回はもっと早く退院したいものと願っております。

今日は、子どもの「連れ去り」が子どもにとってなぜトラウマ体験であるのかについて考えていきたいと思います。

まず一つ目は、その根こそぎ体験トラウマ性があります。ある日突然に片親(多くの場合母親)によって長年住み慣れた環境から、見知らぬ土地へと連れて行かれるわけです。他方の親に別れを告げることもなく、親しい友人に別れを告げることもなく、学校の先生や可愛がってくれた祖父母そして近所の人たちにも別れを告げることなく、なぜ逃げるようにして去っていかねばならないのか・・・・。子どもにはとても理解できません。この根こそぎ体験というのは、「継続性の原則」最も反する体験であり、別居・離婚に際して、子どもに与える傷を出来るだけ少なくしたいと願う親であるなら最も避けなくてはいけないことです。その意味で、そうした体験を子どもに敢えてさせるということを選択すること自体が「心理的虐待」に当たる行為だと私は思っています。

2つ目は、こうした連れ去りは、結果として「片親疎外」を生み出してしまいます。片親疎外とは、虐待されていたなどといった正当な理由がないにもかかわらず子どもが別居親との接触をあからさまに拒否することです。同居中に良い親子関係があったにもかかわらず、まるで「悪の権化」でもあるかのように全く罪の意識もなく別居親を拒否するのです。中には「悪魔!」「怪獣!」「死ね!」「消えろ!」とののしる言葉を浴びせる子どももいます。こうした行為は、もちろん別居親をひどく傷つけ、悲しませるわけですが、それと同時に必ず自分自身を否定することに繋がります。その結果、基本的信頼感を失わせ、自己肯定感を低めてしまい、「どうせ自分なんてろくな人間にならない」「生まれてこなければ良かった」と思うようになってしまいます。この「片親疎外」の結果として自分自身が生きるに値しないと思うようになってしまう。これが「連れ去り」の2つ目のトラウマ性だと私は思います。

こうしたトラウマ体験をした子どもたちは、離婚の傷を長く引きずり、大きくなるにつれて、不登校、ひきこもり、学業不振、自傷行為、摂食障害、万引き、非行などといったさまざまな不適応行為に至ってしまうリスクが高いと言われています。

 

 

 

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親子断絶防止法制定を求める院内集会(2)

今回の院内集会で私に与えられた演題は、「子どもの連れ去りや離婚と子どもの最善の利益について」でした。

現在の裁判所の実務上の扱いでは、合意無しでの「子連れ別居」でも、監護を継続する目的でなされる場合には、合法であるとされています。そうした中で、こうした「子連れ別居」を「連れ去り」と定義して、離婚後の親子断絶の元凶として断罪していく集会が衆議院会館内で開かれた意義はとてつもなく大きいものであると思います。

今日、面会交流を巡る争いは、10年前と比べて3倍ぐらいに増えています。こうした背景には離婚後はいずれかの親のみが親権者になる「単独親権制」がまずあります。それに加えて小子化があります。家の跡取り争いから親権争いも必然的に熾烈になってくるわけです。また「イクメン」という言葉に象徴されるように、育児の単なる補助者ではなくて母親と同等ないしそれ以上に育児に積極的に関与する父親が増えてきています。その結果、一次愛着対象が父親であるといったことも稀ではなくなってきています。そうなると親権を争う父親も当然ながら増えてきます。

私は1990年から12年間、大津家庭裁判所で家事調停委員として多くの離婚調停に関わってきました。しかし当時は、このような「連れ去り」に該当するようなケースに出会うことは皆無でした。

今私は、私設の心理相談室を開設しておりますが、そこにも「連れ去り」、そしてその後の「片親疎外」の被害者からのSOSの相談がたくさん寄せられます。そしてそうしたケースはまるで判で押したように似ているのです。

以下、母親による「連れ去り」の典型的なケースを描いてみたいと思います。

父親の積極的育児参加(=父子関係良好)→夫婦間の葛藤の高まり→突然の母親による子連れ別居→居所不明→母親からの離婚調停の申し立て→父親から面会交流を求めての調停申し立て→種々の正当でない理由(「子どもが会いたがっていない」「同居中に虐待があった」「同居中にDVがあった」「父親に会うことを考えただけでストレスを高める」「PTSD状態にある」「まずは離婚してから」など)から長年会えなくなる→子どもと試行面会交流→子どもが、あからさまに父親との接触を拒否する(=片親疎外状況)→面会交流の実現が困難化する。

別居しようとする母親たちが、自分の頭で考えて、ここまで同じような行動を取るとはどうしても私には思えません。背後にはきっと弁護士のアドバイスがあるにちがいないと思っておりましたところ、実際にそのようなアドバイスを受けたという母親と出会う機会がありました。

母親Aさんによれば、「親権をとりたければ子どもを連れて姿を消さなければ無理だ」と自分の弁護士からアドバイスを受けたそうです。Aさんは、子どもが父親を愛していることはよくよくい知っていたので、深い罪の意識を感じましたが、どうしても親権を取りたかったのでアドバイスに従ったのだと言います。その後父親は、子どもの居所を探して半狂乱になって探し回ります。子どもは、父に謝って家に戻ってくれと懇願したと言います。この母親Aさんの場合には、親権を取った後、子どもへのせめてもの罪滅ぼしにと調停で決まった月2回の面会交流に子どもを送り出していますが、多くの同様のケースでは長年に渡って父子が会えなくなっているのです。

 

 

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親子断絶防止法制定を求める院内集会(1)

しばらく講演が続き、その準備もあり、忙しくてブログを書く時間がとれなくなってしまっていました。またブログを定期的に書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

2月20日に衆議院第一議員会館の地下1階の大会議室で開かれた「親子断絶防止法制定を求めての院内集会」に講師として参加しましたので、そのご報告をこれから何度かに渡ってさせてもらいたいと思います。私のいただいた演題は「連れ去りや離婚と子どもの最善の利益」であり、30分間の発言の後に、来賓として参加された保岡興治衆議院議員、馳浩衆議院議員、富田茂之衆議院議員、泉健太衆議院議員らから質問をいただき私が応えるという形でした。

2組に1組が離婚に至るという世界で最も離婚率の高い米国は、離婚後の制度もまた世界で最も進んでいます。その背景には、幼くして両親の離婚に巻き込まれた子どもの健全な成長を支えていくことは社会の責任であるとの強い認識があるのだと私は思っています。なぜなら、未来を担う子どもたちの健全な成長は社会の基盤を作るものだからです。そしてここ20年ぐらいの間における米国における最も大きな変化は、離婚に関わる裁判官、弁護士、調停員などの専門家が離婚後の共同親権が子どもにとって恩恵があることを心から納得してきたことであるといわれています。

ここでこの共同親権について誤解されることがあるので触れておきたいと思いますが、この「共同親権」は子どもの教育、医療、宗教、課外活動など大きな問題に両親が関わっていく権利であり、責任です。日々の子どもの生活の世話まで共同でするものではありません。最近は、分野別に両親間で責任者を決めることが多くなってきているようです。例えば、教育と宗教分野は父親が、医療と課外活動分野は母親が最終決定権を持つといったように。これは両親間で合意ができずに争いが長引くことを回避する工夫だといわれています。

いずれにしろ、離婚後も両親が子どもに対して親権を持ち続けることは、「離婚しても両親が子どもに対して権利をもつとともに責任があるということを象徴的に明示する」という意味で子どもにとって大きな恩恵があるということが米国社会では真に認識されてきたといえます。

上記の「親子断絶防止法制定を求めての院内集会」で、親子断絶防止法制定に向けて、3月中には「議員連盟」が設立されることが発表されました。その際、会長には当日来賓として参加された保岡興治衆議院議員、事務局長には馳浩衆議院議員がその任につかれるとの発表もありました。

またお二人ともその来賓挨拶の中で、将来的に目指しているところは「共同親権」であると明言されました。私も30分間の講演の中で同じ思いを表明しました。しかし、現在の単独親権制から共同親権制に変えるためには民法改正が必要であり、時間がかかるために、今回は、議員立法で対応できる範囲内の「親子断絶」を防止する法改正を目指すという点で一致しております。

 

 

 

 

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見捨てられ不安と面会交流拒否について

子どもは2歳近くなると母親から自立しようとの最初の芽生えを示し始めるものです。この自立の芽生えに対する母親の反応には大きく分けると二通りあります。一つは自立の芽生えを喜び励ます反応であり、もう一つは自分を見捨てる行為として愛情を引っ込める反応です。前者の反応を示す母親は、自立に向かったものの外の世界で脅威に曝されてまた母親の元に舞い戻ってきた子どもを温かく迎え、エネルギーを補給してあげて、また外に向かっていくことを励まします。一方、後者の反応を示す母親の場合には、子どもの自立の芽生えを自分を見捨てる行為として怒りを感じていますので、母親を求めて外の世界から舞戻ってきた時には、温かく迎え入れることができず、愛情を引っ込めて、冷たく遇してしまいます。そうなると子どもは母親から見捨てられるとの不安を搔き立てられ、母親にしがみつき、外に向かうことができなくなってしまいます。

同じことは、別居親との面会交流に向かう子どもに対する反応にも言えると思います。つまり子どもが別れ住む親を愛することに対する反応にも二通りあるわけです。別れ住む親を愛することを認め、励ます反応と、そうした行為を自分を見捨てる行為と感じて、気持ち良く送り出せないし、また温かく迎え入れることもできない反応です。別れ住む親の所に行こうとするときに、「もう勝手にしたらいい!」などと怒りをぶつけるような反応をすれば、子どもはとても勝手に生きることなどできない「無力な存在」ですから、こんな言葉をぶつけられれば母親にしがみつかざるをえないのです。

面会交流の合意が成り立ち、しばらくは非常に穏やかで良い交流ができていたにもかかわらず、ある日突然に、面会交流に連れて行こうとすると母親にしがみつき、「ママがいい!」と1時間でも2時間でも泣きわめき、引き渡すことができないというようなことが起きる場合があります。母子の間で何が起きたかはブラックボックスに入っており、エヴィデンスを示すことはできないのですが、こうした背後には、子どもの心の中に何らかの形で「見捨てられ不安」喚起されたことは確かです。

子どもがこのような行動をとった時に、間違っても、父親との交流時にきっと何か嫌なことがあったために「ママがいい!」と叫んでいるのだろうなどと判断して、面会交流を制限する方向に動いてしまわないように願わずにはおれません。

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離婚係争中のケースに関わるメンタル・ヘルス専門家のあり方

離婚係争中のケースの場合に、一方当事者から面会交流制限のためにメンタル・ヘルス専門家「意見書」「診断書」が提出されることが増えてきています。こうした際に問題になる点として、一方当事者の言い分および子どもの主張のみを根拠に、しかも数回の面接だけで、子どもの示している症状の原因を診断し、それを根拠に面会交流制限を提案することの危険性です。

例えば、離婚係争中の一方当事者であるクライエントが「元夫は、私を精神的に苦しめていました。私はモラハラを受けていたのです。経済的なDVも受けていました。こうした状況を子どもは知っていました。子どもに対してもすごく厳しく、時には理解が悪いと殴っていました。子どもは父親の前ではいつもいつ殴られるかとビクビクしていました。今やっと父親から距離をとり、父親から解放されたところです。面会交流を考えただけで症状が悪化します。」などと医者に訴えます。そしてその後に子どもと面接すると、子どもからも全く同じ言葉が出てきますと、医者は即座に、「現在の症状のベースには、父親と同居中の身体的・心理的虐待があると考えられる。また母親への心理的・経済的虐待をも目撃しており、これもまた子どもに対する間接的な心理的虐待であると言え、したがって今の時点ではまず子どもの心身の状態を安定させることが何よりも肝要であると考えられる。したがって面会交流は当分の間、控えることが必要であると考える。」といった意見書が裁判所に提出されることになるわけです。

離婚係争中のケースでなくても、親子並行面接をしていますと、最初の数回のクライエントの主張のみから見立てをすることの危険性は明白です。例えば、いじめのケースであれば、受理面接での親の主張は、「学校でのいじめが原因で子どもがひどい摂食障害と自傷行為に陥ってしまいました。家庭にはなんの問題もありません。」というものだとします。子どもに会って話を聴きますと、最初の数回では、やはりいじめ以外の原因は全く見えてきません。しかし面接を重ねる中で、子どもとの信頼関係が構築されるにつれて、実はいじめ以上に子どもを苦しめている問題として家族関係が浮かび上がってくるということがよくあります。

ましてや親の離婚係争に巻き込まれている子どもの場合、親とは違う思いを抱いていることは当然のことですが、一方の親や親戚とのみ接し、他方の親に関するバイアスのかかった情報に絶えず曝されている中で、こうした当初抱いていた自分の思いを持ち続けることは子どもには至難の技です。

そうだとすれば、こうした一方当事者とその影響下にある子どもとの数回の面接から今後の父との面会交流のあり方に関して「専門家」として意見を述べることがいかに危険であるかは一目瞭然です。

係争相手である親が、こうした一方的な診断書に異議を唱えて、夫婦間の関係性のダイナミズムを正当に理解してもらうために面接を申し込むということも最近はよくあることです。しかし、こうした求めに応じて、両当事者の言い分を中立的な立場で聴いた後に、「専門家」としての面子に拘ることなく、自分がすでに出した診断書、あるいは意見書が一方当事者の言い分のみを聴いて判断したために間違いであったことを正直に認めて訂正する医者やセラピストもごくごく稀にはいます。しかし、多くの場合には、そもそも会うことすら拒否することが多いです。

その意味で、こうした係争中のケースに関わるメンタル・ヘルスの専門家は、一方当事者の話と子どもの話を数回聴いただけで、「専門家」としての意見書を書くことはできないと拒否することこそ倫理的選択肢であると私は思います。もちろん一方当事者の話に加えて、同居中、別居中の夫婦間の関係性のダイナミズムや両親ー子ども間の関係性のダイナミズムがよく分かる補足資料を丹念に把握した上での意見書であればもちろん意味があると思います。

 

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離婚の子どもー守りの薄さと脆さ

1月25日(土)には、親子ネット主催の講演会「離婚で壊れる子どもたち」で「子どもの視点から考える面会交流」について話をしてきました。多くの方たちが来場してくれましたこと、「離婚と子ども」の問題が今、この国が抱える深刻な問題であることの証左であると思います。

また1月23日(木)には「クローズアップ現代」で離婚の問題が取り上げられましたが、まだまだ両親の離婚の狭間で苦しむ子どもたちの声は十分に世間には届いていない感じがしています。

カリフォルニア州では1980年に民法が改正され、離婚後に共同親権を選ぶことができるようになりました。法改正後の1984年に私はカリフォルニア州で離婚後の共同養育の実態調査を行い、共同養育していく上での葛藤や工夫点などを聞き取り調査しました。それをまとめたのが『「クレイマー・クレイマー」以後―別れたあとの共同子育て』(筑摩書房)でした。その後、1989年に再度カリフォルニア州を訪れて追跡調査を行いました。その際に、日本でも「離婚と子ども」に関して知名度の高いJ・ワラスティン氏宅を訪れインタビュー調査を行いました。

その際のワラスティン氏の発言で今も記憶に強く残っていることがあります。それは離別・再婚家庭の子どもに共通している点はその「脆さ」であるという指摘でした。氏がゴム人形を手にもち膝の上で何度も何度も”brittle!brittle!“と言いながら崩れ落ちさせていた姿が今も鮮明に残っています。

先日、親の離婚を3歳時に経験した教え子から悲しい知らせを受けました。兄(28歳)が自死したとの知らせでした。体に電気コードを巻き付けて感電死したとのことでした。彼はこれまでも仕事がなかなか続かず、その度に、母親の元に舞い戻ってきていたとのことでした。兄が自死したのは、母親が再婚した直後だったと言います。唯一の依存対象を失ってしまったとの思いが深い所にあったのではないかと思いました。

離婚家庭で育った子どもの脆さを象徴するような事件であると思いました。

親の離婚は子どもにとってはその拠って立つ基盤が震災のようにぐらぐらに揺さぶられるトラウマ体験であることを離婚を選ぶ親ばかりではなくて親族や司法関係者、教育者、メンタルヘルスの専門家など、当事者と関わりを持つ人たちにもっと知ってほしいと思います。

離婚後にどれだけ多くのサポートを得られるかが、いつまでも脆いままで生きていくか、脆さを克服して生きていけるかの岐路になるように思います。

離婚後に別居親との接触そして別居親の子どもの生活への積極的な関与を保証する社会システム構築は、こうしたサポートの中でも最も重要なものだと思います。「連れ去り」別居によってこうした最も貴重なサポートを子どもたちから奪ってしまっている現状を変えていくことは日本における喫緊の課題であると思います。

 

 

 

 

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セラピーを通して見えてくる離婚の子どもへの影響(6)ー心の平安の欠如

世界で最も離婚率の高い米国でも1970年代頃まで、親の離婚は、子どもにとって一時的な危機体験であると考えられてきました。しかし、日本でも知名度の高いJ.ワラスティンの25年もの長期に渡る縦断的な研究結果によって、離婚後に悪条件が重なると、子どもにとって親の離婚は長期にわたってさまざまな深刻な影響を与え続けていくことが分かってきました。以下のE男のケースでは、5歳の時の両親別居に始まるその後の両親の離婚の余波が17歳になるまでその力を弱めることなく続いていたのです。このケースにおいてはさまざまな悪条件が重なっています。

一つは、説明無しの突然の両親の別居です。両親が激しく争う姿を目撃した後に、突然、父親が出て行き居なくなりました。2つ目は、同居親である母の子連れ自殺を考えるほどの落ち込みと親機能の極端な低下でした。そして3つ目は、こうした悪条件を補う上で大事になってくる別居親である父との接触全くなかったことです。4つ目に、最高裁まで争うほど、両親間の葛藤が長引いたことです。

以下は、母によって語られた当時の母の様子です。こうした母の元で暮らすE男の抱えるストレスがいかに高いものであるかがよく分かります。

E男の母が30歳の時に、父はある日突然、理由も告げずに家を出た後、離婚調停を求めます。母は、なぜ離婚を求められるのかも分からず、ただ激しい怒りと悲しみに圧倒されてしまいます。いっそ子どもを道連れに死んでしまいたいと思うほど追い詰められ、その後長く精神安定剤を手放せなくなります。またE男のちょっとした言葉や行動にもすぐに刺激され、気づいた時には思い切り物を投げつけていたり、殴っていたりという状態でした。身体的にもすっかり調子を崩してしまい、潰瘍手術まで受けています。体重も激しく増減しました。子どもの話を聞くことも、話しかける余裕もなく、ただただやってほしいことを命令するのみといった状態が何年も続きました。その間に、夫の同居中の不倫の発覚もあり、争いは熾烈化の一途を辿り、最高裁まで争うことになってしまいました。争うことに疲れ果てた母がふと我に返った時、E男もまた人が恐いと外に出れなくなり、不登校になってしまっていたのです。

来談したE男(17歳)の話を聞く内に、現在の不登校の背後には、幼少期の両親の不仲、そして別居・離婚、父親との突然の別れ、長期にわたる両親の争い継続によって受けた心の傷が深く刻まれたままであることが分かってきました。

当時を振り返ってE男はまるで昨日のことのように生々しく語りました。こうした生々しい記憶はその出来事がE男にとってトラウマであったことのです。

「小さい頃に、脚がガタガタ震えるほど恐い思いをしたことがある。だから家庭不和やケンカしているのを見るとその時の震えが戻ってくる。僕の状態は大災害の被害者たちと同じだ。今の一番の願いは静けさ心の平安だ。これって人間にとって、食べ物と同じぐらい、いや食べ物以上に大事かもしれないって思う。これを得るためだったら手足を切り落としてもいいとまで思う。自分には、それがずっと欠けていた・・・・。

E男の言葉は、両親の葛藤の狭間に置かれて「見えない血」を流し続けている子どもたちすべての心の叫びであると私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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プレイセラピーを通して見えてくる離婚の子どもへの影響(5)ー過剰適応

新年あけましておめでとうございます。今年一年、また心新たにライフワークである「離婚と子ども」の問題に情熱を注いでいきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今日は、D子(9歳)とのプレイセラピーを通して考えていきたいと思います。

D子の両親は、D子が2歳の時に別居し、4年後に離婚しています。D子が誕生する前から両親間の葛藤は高くなっており、D子が生まれた頃には、結婚生活は完全に破綻していました。別居後、D子は父とは全く会っていないために、父の記憶は全くありません。母親は実家に戻り、フルタイムで残業の多い仕事をこなしてきました。来談するまでのD子は家でも学校でも誰にも依存せずに自分でこなすなど極端に良い子で、学業成績も優秀でした。しかし小学3年の時に部屋の中で涙をスッーっと一筋流しながら茫然自失の状態で立ちすくむ姿を母が見つけ、びっくりした母が私の所に相談に来たのです。

母の主たる訴えは、「D子は本当の気持ちを素直に表現しないし、私とも自然な会話ができず、私の顔色を見て行動するので、何を考えているのか分からず自分の子ながら恐いです・・・」というものでした。

D子とは通算58回のプレイセラピーをしました。

D子の第一印象は、身体的には健康そうですが、全般的に抑うつ気分が漂い、動作もゆっくりで子どもらしさがなく、言葉も行動も統制が効き過ぎていました。プレイ(50分)の中でも、最初の6回ぐらいは、床に砂がこぼれると手で拭き清めたり、箱庭のミニチュアの棚の砂もきれいに掃除するほど強迫的に掃除をしまくり、遊ぶのは残りの10分ぐらいという状態でした。

ここに見られるD子の姿は「過剰適応」と言われるものです。適応も過剰になりすぎると不適応になってしまいます。

両親が別居・離婚した後に、母親が傷つき体験を引きずっていたり、専業主婦から急に仕事をするようになり、エネルギーが子どもに向くことが減ったりしたときに、女の子はD子のように極端に良い子になる、つまり「過剰適応」することによって、母親の注意を惹こうとすることが多いと言われています。男の子は、逆に「過小適応」つまり問題行動を起こして母親の注意を惹こうとすることが多いと言われています。

D子の場合には、9歳で、この過剰適応して生きることに破綻を来してしまったわけです。これはある意味、幸いでした。お陰でD子は小学6年の頃には、イヤなことはイヤとはっきり主張するようになり、また母に対しても「その考え方、何かおかしい!」と批判的に考えることもできるようになりました。来談当初、D子が「恐い」と訴えた母も、今ではD子が「可愛い!」と思えるまでに大きく変化しました。

学校でも、以前は無口で暗かったD子でしたが、積極的に行事に参加したりと前向きな姿勢を見せるようになりました。プレイルームでも大きな笑顔を見せるようになりました。

プレイの中で「両親揃った家族」への憧れが絵に表現されたことがありました。しかしD子の父は、子どもとの面会交流を望まず、新しい再婚家庭を築いていきました。

しかし、離婚後に両親の一方ないし双方が再婚しても、その再婚家庭を元の家族と絶縁する形で閉ざしていくのではなくて、別れ住む親子の交流を続けることを通して、外の世界のネットワークに拡大していくことが子どもの願いそして福祉に適っていると多くの子どもと接することを通して私は思っています。

そのためには、新しい家庭「安定」こそが子どもの福祉に適うという意識から、再婚後も別居親と子どもの接触を気持ち良く許していくことこそ子どもの福祉に適うのだとの意識変革が離婚を選び取り、また再婚を選び取った親側の子どもに対する責任ではなかろうかと私は思います。

 

 

 

D子

 

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プレイセラピーを通して見えてくる離婚の子どもへの影響(4)ー見捨てられ不安と保証の大切さ

今日は、C子のプレイの続きを通して考えてみたいと思います。

C子とは通算7回という短い出会いでした。母親の都合で引っ越さねばならず終わりになったのです。C子は、毎回、箱庭を使って遊びました。6回目、7回目のセッションで表現されたのは、「両親揃った家族」のテーマでした。6回目では、牛と馬と犬を使って「ここは3人家族。ここは4人家族。お父さんもお母さんも大好き!」と言いつつ、3人家族では父牛の背中に、4人家族では母牛、父牛の背中にそれぞれ子牛を乗せました。

ここには、両親を慕う子どもの気持とともに、和解幻想も表現されていると思います。

同じ回でC子は、箱庭に牛を置いて遊んでいましたが、父牛は死に、母牛はどこかに行ってしまったとのことで、子牛が「寂しいよ!」「寒いよ!」とヒー、ヒー泣きます。すると見知らぬ人が面倒を見てくれたり、犬が寄り添って暖め、守ってくれたりします。そして最後には私を相手に「両親は死んでしまいました。お父さん、お母さんになってください!」とも哀願しました。

離婚を経験した子どもは、C子にかぎらず、一方の親が居なくなった今、もう一人の親にも捨てられるかもしれないとの「見捨てられ不安」をひそかに抱いているものです。ですからC子の母親がしたように、両親が離婚しても、父も母も変わらず子どもを愛しており、これからもずっとしっかり守り続けていくこと保証してあげることがとても大事になってくるわけです。

7回目の箱庭では、両親揃ったカンガルーの親子5匹が仲良く遊んでいました。すると場面が急展開して、子どもが死にかかり、父カンガルーがその子を布団まで運び、「父親だから守る!」「父親だから家族を守る!」と言いながらじっとその子の上に覆い被さるシーンを演じました。「両親揃った家族」、「家族を守る父親」への押さえがたい思いがあることが分かります。

だからこそ、親は別れても、子どもには両親とのできるだけ頻繁かつ継続的な接触を保証していくことが、これからの社会のあるべき姿だと私は確信しています。

ブログを読んでいただいた皆様、今日が年内最後の書き納めになります。ありがとうございました。

どうぞ皆様、良いお年をお迎えくださいませ。新年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

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プレイセラピーを通して見えてくる離婚の子どもへの影響(3)ー家族崩壊の嘆きと両親揃った家族への羨望

今日は、C子(7歳)とのプレイセラピーを通して,離婚の子どもへの影響について考えてみたいと思います。

C子の両親は、C子が4歳の時に別居しましたが、それまでは、父から母への暴力を目撃し、怯えつつも、幼い両手を広げて母をかばい、慰めたといいます。しかし父はC子に対しては、暴力をふるうこともなく、とても可愛がってきたとのことでした。他方、母はC子に対して、厳しく、叩いて叱り、祖母から厳しすぎると注意されるほどでしたが、どうしてもやめれないと言います。

別居期間中は、母は年に数回、他県に住む父にC子を会わせに連れて行きました。しかし離婚したらもう会わす気持はないとC子にも伝えています。来談当初の母は、家族画にも、父は昔一度だけ小さく登場しただけだと誇らしげに語り、C子にとっては「母とC子と犬」のみが家族だと強調しました。しかし、母親面接者が、プレイの中で、父動物の背中に子動物を乗せて遊んでいること、父への思いがあるのでは?と訊ねると、時々「お父さんがいなくて寂しい・・・」と言うこと、また母には極力、父のことは言わないようにしているようであると涙ながらに語りました。母は実は子どもが父を求め続けていることを重々知っていたのです。

母はその後、父と母は別れること、しかし母がC子をしっかり守っていくこと、そして父とも会い続けることができることをしっかりと伝えました。

初回の箱庭で、C子はまず大蛇を箱庭いっぱいに置きつつ、「こわくて、こわくて・・・」と言います。その後に、ワニをしっぽだけかすかに見える形で砂に埋め、カンガルーがその上をピョン、ピョンと跳んでいくと、突如、ワニが姿を現し、首に噛みつき食べてしまいます。その後に、箱庭にトラとライオンを横目で睨む形で置きます。その後に、ライオンの脚を何ヶ月も動けないようにと埋め、トラの体もほどんと砂に埋め、顔をまずでスパッと包丁で切り、背中もスパッと切ります。やがて砂から抜け出したトラが砂の上を歩いて行くと罠に落ちてしまいます。その後に、20匹の牛のミニチュアを使って、暴力的な父を排除するテーマと同時に、家族崩壊のテーマ、そして両親揃った家族への羨望のテーマが見事に表現されました。

子どもは初回の箱庭で無意識に自分の置かれた状況を再現し、セラピストに伝えてくれるものです。

C子が初回の箱庭で私に伝えてきたことは、飢えた動物を使ってC子自身の「情緒的な飢え」を、そしてトラとライオンを使って、暴力の荒れ狂う攻撃的世界の恐ろしさと同時に自らの攻撃性怒りの気持を、また牛を使って、暴力的な父を排除する一方で、家族崩壊の嘆きと両親揃った家族への羨望、そして和解幻想の気持であったように私には思えます。

 

 

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