セラピーを通して見えてくる離婚の子どもへの影響(6)ー心の平安の欠如

世界で最も離婚率の高い米国でも1970年代頃まで、親の離婚は、子どもにとって一時的な危機体験であると考えられてきました。しかし、日本でも知名度の高いJ.ワラスティンの25年もの長期に渡る縦断的な研究結果によって、離婚後に悪条件が重なると、子どもにとって親の離婚は長期にわたってさまざまな深刻な影響を与え続けていくことが分かってきました。以下のE男のケースでは、5歳の時の両親別居に始まるその後の両親の離婚の余波が17歳になるまでその力を弱めることなく続いていたのです。このケースにおいてはさまざまな悪条件が重なっています。

一つは、説明無しの突然の両親の別居です。両親が激しく争う姿を目撃した後に、突然、父親が出て行き居なくなりました。2つ目は、同居親である母の子連れ自殺を考えるほどの落ち込みと親機能の極端な低下でした。そして3つ目は、こうした悪条件を補う上で大事になってくる別居親である父との接触全くなかったことです。4つ目に、最高裁まで争うほど、両親間の葛藤が長引いたことです。

以下は、母によって語られた当時の母の様子です。こうした母の元で暮らすE男の抱えるストレスがいかに高いものであるかがよく分かります。

E男の母が30歳の時に、父はある日突然、理由も告げずに家を出た後、離婚調停を求めます。母は、なぜ離婚を求められるのかも分からず、ただ激しい怒りと悲しみに圧倒されてしまいます。いっそ子どもを道連れに死んでしまいたいと思うほど追い詰められ、その後長く精神安定剤を手放せなくなります。またE男のちょっとした言葉や行動にもすぐに刺激され、気づいた時には思い切り物を投げつけていたり、殴っていたりという状態でした。身体的にもすっかり調子を崩してしまい、潰瘍手術まで受けています。体重も激しく増減しました。子どもの話を聞くことも、話しかける余裕もなく、ただただやってほしいことを命令するのみといった状態が何年も続きました。その間に、夫の同居中の不倫の発覚もあり、争いは熾烈化の一途を辿り、最高裁まで争うことになってしまいました。争うことに疲れ果てた母がふと我に返った時、E男もまた人が恐いと外に出れなくなり、不登校になってしまっていたのです。

来談したE男(17歳)の話を聞く内に、現在の不登校の背後には、幼少期の両親の不仲、そして別居・離婚、父親との突然の別れ、長期にわたる両親の争い継続によって受けた心の傷が深く刻まれたままであることが分かってきました。

当時を振り返ってE男はまるで昨日のことのように生々しく語りました。こうした生々しい記憶はその出来事がE男にとってトラウマであったことのです。

「小さい頃に、脚がガタガタ震えるほど恐い思いをしたことがある。だから家庭不和やケンカしているのを見るとその時の震えが戻ってくる。僕の状態は大災害の被害者たちと同じだ。今の一番の願いは静けさ心の平安だ。これって人間にとって、食べ物と同じぐらい、いや食べ物以上に大事かもしれないって思う。これを得るためだったら手足を切り落としてもいいとまで思う。自分には、それがずっと欠けていた・・・・。

E男の言葉は、両親の葛藤の狭間に置かれて「見えない血」を流し続けている子どもたちすべての心の叫びであると私は思っています。