トラウマ概念の再考(3)

9月18日、22日の2回にわたってトラウマ概念について再考しましたが、今日は、大分間があいてしまいましたが、トラウマ概念をさらに再考したいと思います。

不快感や脅威を与える人に100%同一化することのトラウマ性とそうした行為を長期にわたってし続けたときに支払わなくてはいけない代償についてです。

私が心理臨床の場で出会ったB子さんは、幼少期より25歳で家を出るまで父親から「体を触られる」「のぞき見される」という性的虐待を受けてきました。

身体的接触は親子の間の愛情表現の有効な手段です。しかし親が子どもに対して情熱をもって身体接触をするときには、その行為は性的虐待に反転し、子どもは深い混乱に陥ってしまうのです。

B子さんは、それでも幼い頃には、生きていくために、父親を嫌うことができなかったといいます。嫌だとの思いを封印して生きてきたといいます。その結果、幼少期を過ぎてもずっと成人するまでAさんは、ストレスの高い状況に直面すると知らないうちにその場で体験していることを感じなくして生きてきたといいます。それがAさんには一番馴染みのある自分を守る方法だったからです。

これは心理学では「解離」という防衛方法です。虐待を受けてきた子どもが自分を守るためによく用いる方法です。

Aさんは私の元にたくさんの夢を持って来談されましたが、「すべての夢が自分とは関わりのないテレビのシーンを見ているような気分だ」と語り、また「意識と感情が切り離された感じだ」とも訴えました。

実感のない経験は空虚なものです。またせっかくの経験から学べないばかりではなくて、他のより健康なストレス対処方法を身につけることも妨げてしまい、結局は、Aさんにとって短期的には適応行為であった「解離」というストレス対処方法は、長期的にはAさんを不適応に陥らせてしまうことになったのです。