離婚係争中のケースの場合に、一方当事者から面会交流制限のためにメンタル・ヘルス専門家の「意見書」や「診断書」が提出されることが増えてきています。こうした際に問題になる点として、一方当事者の言い分および子どもの主張のみを根拠に、しかも数回の面接だけで、子どもの示している症状の原因を診断し、それを根拠に面会交流制限を提案することの危険性です。
例えば、離婚係争中の一方当事者であるクライエントが「元夫は、私を精神的に苦しめていました。私はモラハラを受けていたのです。経済的なDVも受けていました。こうした状況を子どもは知っていました。子どもに対してもすごく厳しく、時には理解が悪いと殴っていました。子どもは父親の前ではいつもいつ殴られるかとビクビクしていました。今やっと父親から距離をとり、父親から解放されたところです。面会交流を考えただけで症状が悪化します。」などと医者に訴えます。そしてその後に子どもと面接すると、子どもからも全く同じ言葉が出てきますと、医者は即座に、「現在の症状のベースには、父親と同居中の身体的・心理的虐待があると考えられる。また母親への心理的・経済的虐待をも目撃しており、これもまた子どもに対する間接的な心理的虐待であると言え、したがって今の時点ではまず子どもの心身の状態を安定させることが何よりも肝要であると考えられる。したがって面会交流は当分の間、控えることが必要であると考える。」といった意見書が裁判所に提出されることになるわけです。
離婚係争中のケースでなくても、親子並行面接をしていますと、最初の数回のクライエントの主張のみから見立てをすることの危険性は明白です。例えば、いじめのケースであれば、受理面接での親の主張は、「学校でのいじめが原因で子どもがひどい摂食障害と自傷行為に陥ってしまいました。家庭にはなんの問題もありません。」というものだとします。子どもに会って話を聴きますと、最初の数回では、やはりいじめ以外の原因は全く見えてきません。しかし面接を重ねる中で、子どもとの信頼関係が構築されるにつれて、実はいじめ以上に子どもを苦しめている問題として家族関係が浮かび上がってくるということがよくあります。
ましてや親の離婚係争に巻き込まれている子どもの場合、親とは違う思いを抱いていることは当然のことですが、一方の親や親戚とのみ接し、他方の親に関するバイアスのかかった情報に絶えず曝されている中で、こうした当初抱いていた自分の思いを持ち続けることは子どもには至難の技です。
そうだとすれば、こうした一方当事者とその影響下にある子どもとの数回の面接から今後の父との面会交流のあり方に関して「専門家」として意見を述べることがいかに危険であるかは一目瞭然です。
係争相手である親が、こうした一方的な診断書に異議を唱えて、夫婦間の関係性のダイナミズムを正当に理解してもらうために面接を申し込むということも最近はよくあることです。しかし、こうした求めに応じて、両当事者の言い分を中立的な立場で聴いた後に、「専門家」としての面子に拘ることなく、自分がすでに出した診断書、あるいは意見書が一方当事者の言い分のみを聴いて判断したために間違いであったことを正直に認めて訂正する医者やセラピストもごくごく稀にはいます。しかし、多くの場合には、そもそも会うことすら拒否することが多いです。
その意味で、こうした係争中のケースに関わるメンタル・ヘルスの専門家は、一方当事者の話と子どもの話を数回聴いただけで、「専門家」としての意見書を書くことはできないと拒否することこそ倫理的選択肢であると私は思います。もちろん一方当事者の話に加えて、同居中、別居中の夫婦間の関係性のダイナミズムや両親ー子ども間の関係性のダイナミズムがよく分かる補足資料を丹念に把握した上での意見書であればもちろん意味があると思います。