子どもは2歳近くなると母親から自立しようとの最初の芽生えを示し始めるものです。この自立の芽生えに対する母親の反応には大きく分けると二通りあります。一つは自立の芽生えを喜び励ます反応であり、もう一つは自分を見捨てる行為として愛情を引っ込める反応です。前者の反応を示す母親は、自立に向かったものの外の世界で脅威に曝されてまた母親の元に舞い戻ってきた子どもを温かく迎え、エネルギーを補給してあげて、また外に向かっていくことを励まします。一方、後者の反応を示す母親の場合には、子どもの自立の芽生えを自分を見捨てる行為として怒りを感じていますので、母親を求めて外の世界から舞戻ってきた時には、温かく迎え入れることができず、愛情を引っ込めて、冷たく遇してしまいます。そうなると子どもは母親から見捨てられるとの不安を搔き立てられ、母親にしがみつき、外に向かうことができなくなってしまいます。
同じことは、別居親との面会交流に向かう子どもに対する反応にも言えると思います。つまり子どもが別れ住む親を愛することに対する反応にも二通りあるわけです。別れ住む親を愛することを認め、励ます反応と、そうした行為を自分を見捨てる行為と感じて、気持ち良く送り出せないし、また温かく迎え入れることもできない反応です。別れ住む親の所に行こうとするときに、「もう勝手にしたらいい!」などと怒りをぶつけるような反応をすれば、子どもはとても勝手に生きることなどできない「無力な存在」ですから、こんな言葉をぶつけられれば母親にしがみつかざるをえないのです。
面会交流の合意が成り立ち、しばらくは非常に穏やかで良い交流ができていたにもかかわらず、ある日突然に、面会交流に連れて行こうとすると母親にしがみつき、「ママがいい!」と1時間でも2時間でも泣きわめき、引き渡すことができないというようなことが起きる場合があります。母子の間で何が起きたかはブラックボックスに入っており、エヴィデンスを示すことはできないのですが、こうした背後には、子どもの心の中に何らかの形で「見捨てられ不安」が喚起されたことは確かです。
子どもがこのような行動をとった時に、間違っても、父親との交流時にきっと何か嫌なことがあったために「ママがいい!」と叫んでいるのだろうなどと判断して、面会交流を制限する方向に動いてしまわないように願わずにはおれません。