トラウマ概念の再考(1)

身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、そして心理的虐待が子どもにとってトラウマ体験であることは誰も疑うことはないでしょう。今日は、家庭の中で生き残るために子どもが親に100%同一化して生きることのトラウマ性について考えてみたいと思います。

子ども、特に幼い子どもは、生きるために必要な保護や愛情、食べ物やお金を養育者に依存せざるをえない無力な存在です。たとえその環境が幼い子どもにとって守りの薄い、また不当な関係性を強いる虐待的環境であったとしても、子どもはそうした環境に適応して生き残らざるをえないのです。

精神分析の創始者であるS.フロイトの一番弟子であったS.フェレンツィは、こうした不当な関係性の中で生き残るために子どもの側に生じる適応反応こそがトラウマ体験であるとしている点でユニークな発想を持っています。私はこのフェレンツィの考え方に共感し、影響を受け、その視点から子どもの虐待を考えてきました。(参考文献:棚瀬一代(2005)「児童虐待によるトラウマと世代間連鎖」森茂起編『埋葬と亡霊』甲南大学人間科学研究所叢書.)

自分の意志を100%捨てて、親の考え、望みに100%同一化すること。これはその子の置かれた環境によっては短期的には生き残るための適応反応といえます。しかし、やがてその適応反応が代償として多くの不適応反応を引き起こしてくるのです。