故棚瀬一代が亡くなり、49日の法要を迎えました。
葬儀に際しては、多くの方が参列下さり、献花、お悔やみも大勢頂きました。ありがとうございました。仕事にも、知人友人にも、そして家庭にも恵まれて、これからもうひとがんばりという時に、無念の死を迎えなければならなかった一代に、最後の荘厳をしてあげたくて、皆さんに葬儀の通知をさせて頂きました。
皆、心から悼んで下さり、本当にありがたく思いました。
棚瀬心理相談室も片付けをし、閉鎖しました。
一代は、子ども面接が得意で、上手に気持ちを引き出していました。この相談室のプレイセラピーでも、離婚の狭間で、別居親への愛着を素直に表現できず、深い悲しみと無力感にひしがれていた子どもが、面会と面接を組み合わせていく中で元気になり、子どもらしさを取り戻していく様子を、私に話してくれていました。
一代がまだ京都大学の大学院で勉強している頃の、一代らしい、私の好きなカウンセリングの話があります。その子は未熟児で生まれたのですが、あるとき不登校になり、相談室に来ました。それから数ヶ月、毎週、一代は、その子が、実はテレビの芸能関係の話題には人一倍物知りで、「おまえ、こんなことも知らないのか」と自慢話をするのを、一生懸命、一緒に笑ったり驚いたりして聞いてあげていたのですが、ある時、「俺はな未熟児だったけど、今は、背も高い方なんや。」と言うのを引き取って、「そうか。○○君は小さく生まれて、大きく育ったんだ。」と言ってあげたら、大きくうなずいて、それから直に学校にも行けるようになった、と言っていました。
一代の原点は、この子どもが皆持っている素晴らしさに、心から賛嘆することであり、家庭や学校で命をすり減らしている子ども達が、自己肯定感を持ち、自分が生きるに値する人間だと思えるようになることに、使命感を持っていました。
一代が亡くなってまだ間もない頃、近くのスーパーで、白と紫のきれいなトルコ桔梗が目にとまり、飾ってあげようと思って買った時、一瞬、心がふわっとときめいたことがありました。他愛のないエピソードですが、何も答えてくれない、何もしてあげられない、その口惜しさが、ふっと超えられたのかもしれません。
生前、いつも快活な声で、楽しく会話する一代とは、最後まで、仕事の話はしても、正式のお別れをすることはありませんでした。私も、また、死への直面を避け、現実否認していました。
そんな二人でしたが、一度だけ、密かに別れを意識して、私が、一代に語ったものがありました。それは、芸術新潮3月号の、梅原猛の親鸞の妻帯にまつわる夢のお告げの話と、もう一つ、他力本願における二種廻向の話です。
親鸞は、法然から妻帯を命じられるのですが、そこには、法然が、一切衆生の成仏を言いながら、女性を汚れの多いものとして排除していることに、自ら矛盾を感じ、新時代の教えに平等の徹底を期待したのだろう、というのですが、親鸞自身も、参籠している時、夢の中に救世観音が現れて、「お前に女犯の宿命があるのなら、自分が美しい女の身になって犯されてやろう。そして、一生の間、お前の人生を荘厳に満たし、臨終に際しては極楽に導いてやろう。」と言われます。
私は、この話をすごく美しいものに聞きました。女性がいるから、男性の人生が荘厳されるというのは、私が、そのまま一代に人生の最後に、お礼を言いたかったことでした。
一代は、亡くなる3日ほど前に、長女とあれこれ話をし、その中で、「お母さん、いつの時代も楽しかった。」と言っていた、と聞きました。お互い、別れの言葉を交わすことができた、と思いました。
親鸞の教えでは、阿弥陀菩薩の一切衆生を救いたいとの誓いにすがることで、浄土に往生を遂げるというのですが、これだけでは、まだ、自らは極楽浄土に生まれ変わるという自利を得るにすぎません。他力の本願には、そうして成仏した私たちが、この世に再び還り、苦しんでいる人を救うことまで含む、というのが、二種の廻向です。
梅原猛は、この、再びこの世に還り他利を行うという還相廻向に、死んでも、また新しい命として生まれ変わるという民間の信仰を重ね合わせ、それは、遺伝子で考えれば、命がつながれていくことの神話的表現で、けっして非科学的でないと言います。
また、この方が、私の今の気持ちに強く訴えるのですが、人間の魂は、肉体を離れても、周りの、その魂に触れた人たちの中に入り込み、その人と共に生きます。
魂が触れるのは、感動を与えるからであり、この感動を周りに与えて、人間の高貴な魂を受け渡していくこと、これが、この世で行う他利に他ならない、と考えるのです。
一代にこの話をした時、最後は冗談めかして、「一代は、もうこの世でたくさん周りの人を幸せにしてきたから、一代は浄土で待っていて。僕一人で他利をしに戻るから。」と言うと、「TAKは心配だから、一緒に付いてってあげる。」と真顔で応えていました。
これが私たちのお別れでした。
悲しみはいつまでも癒えませんが、悲しむことが、一代への供養であると今は思っています。それだけのものを私に与えてくれたのだから、仕方がありません。
この後、一代の残した仕事も、皆さんのお力を借りながら、できるものは引き継いでいきたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。
平成26年7月10日
棚瀬孝雄
追伸
このホームページは、一部、コンテンツを整理した上、一代の1回忌までは、同じ「棚瀬心理相談室」、または、「棚瀬一代」で検索できるように、開いておきます。
一代の、最後の講演のビデオもありますので、アップロードします。
皆さんの中からも、親子面会交流の進展につながるような記念出版ができないか、という話もあり、私も、一代の遺志を引き継ぐ形で、何か書かなければと思っています。一代も、出版の準備をしていて、7割方書き終えた原稿がある、と言っていました。少しずつ整理していきたいと思っています。
また、これは、痛々しすぎるのでためらいますが、私の一代への思いとして、見て頂かなくて結構ですが、告別式で、親子断絶防止法事務局の平田さんが読み上げた弔辞と、アメリカ大使館からのお悔やみの手紙、そして、子ども達を代表して長女の、最後に、私の、当日は涙でぼろぼろで詰まりながら読んだ、お別れの言葉を載せます。
一代の写真も、選んで、載せています。