面会交流を邪魔する理性と感情の葛藤

10月24日、私が1990年から12年間ほど家事調停委員として働いていた大津家庭裁判所で家事調停委員研修講演をしてきました。タイトルは「子どもの視点から考える面会交流」でした。

私が調停委員として関わっていた頃は、面会交流を巡る争いはあったものの今日のように熾烈化しておらず、牧歌的であった記憶があります。

大津家裁においても「子どもの意志」として面会交流を拒否するケースが増えてきており、対応に苦慮しているとのことでした。調停委員が、面会交流の子どもにとっての意味を話すと、多くの監護親は頭ではそれを理解してくれるといいます。しかし、気持ちがついていかず、結局はなかなか面会交流がスムーズに実現していかないとの悩みを語っておられました。

確信犯的に面会交流をさせないという人もいることは確かですが、面会交流が子どもにとって意味があることは頭では分かっていても、別居/離婚の過程で傷ついているために、あるいは父(母)のほうが好きだと子どもが言いだしたらどうしようとの不安から、どうしても笑顔で子どもを送り出し、笑顔で迎えることができないと密かに苦しんでいる人も多いように思います。

こうした人は理性と感情との間の葛藤に自分自身がひどく苦しんでおられるわけです。子どもは父のことも母のこともそして父(母)の再婚相手のこともみんな好きでいいじゃないの?と言うわけです。何と広い心を持っているのだろう!それに比べて、自分は自分の傷つきや不安に捕らわれて子どもが父を愛し、父(母)の再婚相手を愛することが許せない!何と狭量な気持ちの持ち主なんだろう!と苦しんでいるわけです。

面会交流を制限したり、中断したりする人の中には、こんな人も多いように思います。このような人の場合には、カウンセリングを受け、カウンセラーがその傷つきや、不安といった感情部分に寄り添い、受け入れると同時に、理性の部分と同盟を結び、強めていくという作業を経ることを通して認められたとの思いと同時にエンパワーされ、その結果として子どもと父(母)との面会交流もスムーズなものになっていくと思います。

離婚当事者たちは、離婚の過程で互いに対する信頼関係は総崩れになっていることがほとんどだと思います。しかし面会交流をしていくためには最低限の親としての信頼関係を再構築していかなくてはなりません。そのためには、まずは自分の傷つき、不安を守られた空間で表出して、受け入れ、抱えてもらう必要があります。しかし監護親が自発的にカウンセリングの場を利用しようとすることは稀です。やはり今後は裁判所がカウンセリング受講命令を出すシステムが必要になってくると思います。

今日は、監護親に対するカウンセリングの効用についてのみ触れましたが、次回は、親子が疎外されているケースにおける裁判所としての対応、今後のシステムのあり方について、米国の対応方法を参考にしつつ考えてみたいと思います。